神様、お願い !だ2019年04月20日 18時26分00秒

★「共謀」コンサートは5/5日でとりあえず終了、ぜひご参加を!!

 「神様お願い」である。むろんショーケンのいたテンプターズの楽曲のタイトルだが、まさにこのところそうした気持ちでいる。

 私的なことだが、ショーケンこと萩原健一が死んで、自分の中でけっこう痛手となっていることに今さらながら気づく。つまるところ、彼のようなある意味、若気の至りのまま、ギラギラとまさに「傷だらけの天使」の主人公のように不器用に、かつ自分勝手に生きる、という人生の「見本」=具現者がいなくなってしまったという現実が辛いのだと思う。

 そう、我にとってまさにその生き方は憧れだったのだと今にして気づく。メチャクチャである。生き辛いよう、自滅するかのようにわざと自分で持って行ったように思える。近よる者は誰もを傷つけた。
 しかし、それがショーケンであり、世知に長け、他人様の顔色を窺い、忖度だらけの者が成功する、この日本社会でうまく世渡りできない者、アウトローのシンボルとしていつまでも「存在」していてほしかった。

 ショーケンのいない「現実」社会は、小ずるく利口に動きまわることのできない不器用者にとって、非常に息苦しく辛い。ダメの「見本」がいなくなってしまえば、我のようなやはりダメでとことんバカはいったい何をよすがに生きていけば良いのであろうか。
 まあ、晩年の彼は、最後の良き伴侶と出会ってからは、平穏の内に持病との闘いに心静かに専念できたのだと思うから、早すぎる死もまた悔いなきものであったと思いたい。ショーケンの魂よ、安かれである。
 しかし、残されたものとしては・・・

 そして、私事だが、安倍政権による共謀罪成立直後から続けて来た「護憲と反戦平和のための共謀コンサート」も次回の5月5日で、とりあえずいったん終了としたいと考えている。
 番外編も含めれば、間もなく10回近くとなってきて、情勢を鑑みればまだまだ安倍政権退陣させるまでは続けたいと思うところだけれど、死期が近づいて来た父とのことと、我が人生もまだ父が生きている間に、もう少しは道筋をつけておきたいと願うので、少しだけお時間頂きたい。
 むろん父が死んでからゆっくりとでもいいのである。が、人が死ぬということは、その後の「後始末」の手続きがものすごく面倒で、半年は私的公的にその事後処理に追われてしまう。
 そして何より情けない話だが、父がいなくなってしまえば、我が生活自体も立ち行かなくなってしまうわけで、その時点で果たして自らの生活維持と並行して「コンサート」など企画できる余裕が我にあるのか何とも心もとない。今思うに、難しい気がしている。

 ならばこそ、父がまだ生きている間に、もう少し先行きのことを腰据えていろいろ準備と手配しておきたいと考えた。母の時も実は同様に考えていたのだが、結局、容体がぐんぐん悪くなって、何一つ看護と介助以外のことはできないまま、なし崩し的に母は死んでしまい、その後、何もかも混沌の状態に陥ってしまったのだ。そして今もまだ元に戻せていない。
 だからこそ、父が生きている間に、どれほど呆けようと彼と語らい「死後」の手配をしておきたいと願うし、そうしておかないと、死は不意に訪れるものだからこそ、そのときが来てからでは遅いと思える。繰り返し記すが、父は今秋で95歳となる超高齢者なのである。もういつ死んでもおかしくないだろう。

 この「共謀」コンサートはまだまだ続けていきたいし、その意義もあると信ずるが、元より我はそうした義あることを責負うことのできるまっとうな者ではなく、常にまず自らのことをきちんとしてからではないか、という内心の声と闘ってきた。そう、外の世界のことよりまず自分の人生をきちんとしてからではないか、である。
 ただ、現行の安倍政権のあまりの無法と強権ぶりに、抗議を込めてせめて同じ思いを持つ音楽仲間たちと計らって(つまり共謀して)、反体制的に、抗いのコンサートができればと思い、そうした企画を立てて開催してきた。
 そして自分で言うのも面はゆいが、素晴らしいコンサートの数々を、みほこんのレコ発のも加えて、このコンセプトで企画し開催決行できたと信ずる。それこそ自信に思う。それは我マスダだから成し得たと思いたい。※そのことは我がそこにいたからという意味で。

 出演者の方々には、そのご活躍に見合う存分のギャランティを支払いできないことだけが心苦しいが、それは別として素晴らしいコンサートを、良い観客と良い場を構築できたと手前みそだが思う次第だ。
 そしてこれからも、もし許されれば「共謀」コンサートは続けていきたいと心から切望している。が、まずは、この5月5日の「共謀」フォークジャンボリーで、しばらくその後はお休みしたい。
 少しだけ、かの藤村直樹氏的な意味でなく「中休み」いたしたいと思う。

 実は、そう言いつつも次々回は既に日時も決定している。
 次々回は今秋、10月19日の土曜日、タイトルは『五郎と「共謀」コンサート』である。出演はメインに中川五郎をお迎えして、共謀ミュージシャンたちが彼をサポートして、たっぷり存分に唄って頂き音楽活動半世紀越えと、古希を大々的に皆でお祝いする場といたしたい。これこそが我にできる、十代の頃に出会い長年お付き合いして頂いた御大五郎氏に対する「恩返し」である。恩は生きている間に形として示せねばならぬ。きちんとコンサートとしてお返ししたいと心から願う次第だ。

 それ以後については現時点では全く未定で、我が父も我もまた明日をも知れぬという気分でいる。企画としては、みほこんのレコ発コンサートの続きも、さこさんと西島さんの懸案のジョイントコンサート「おじんブルース&カントリー」も絶対開催したいと考えているが、まだ日程もはっきりできないし、まずは5/5を無事終わらせてからだ。

 ともかくまずは、改元の大型連休中の5/5の「共謀」フォークジャンボリーを何としても大盛況のうちに終わらせて、今夏は家に籠り我が人生のこれからと父の死後のことに向き合って、秋口の五郎氏のコンサートを迎えてから全てこれからのことは改めて考えなおしたい。
 盛況になりますよう、一人でも多くのご参加ありますよう、神様お願いである。今回はあえて高名のベテランシンガーはお招きしていない。気心知れた素晴らしい仲間たちと、とことん存分のんびりと音楽で「共謀」して現時点で最良最高のステージをお見せできると信ずる。どなたさまでもお気軽にぜひご参加頂きたい。

 死後の世界、あの世もあると信じたいし存在すると思うが、しかしそれは別次元のことであり、現実的には、接触不可能、没交渉なのである。死んでしまえば向うもこっち側もどうしようもできない。ならばこそ、我ら誰にとっても残り少なくなってきた現実人生を、生きている間に、有意義に無駄なく活用していかねばと思う。こんな我でもまだできることとすべきことがあると信ずる。皆同じ思いだと思う。そう信じたい。

 で、神様お願いというわけだ。今さら恋人と会いたいとかあの娘が欲しいなんて思いもしない。ただ、願うは、こうした機会ある場に、同じ思いを持つ方々が皆集い出会い、さらにそこから連帯・共謀発展できるようになりますように、力が結集できますように。そのコンサートが無事盛況となりますように、ただ祈り願うだけだ。
 則天去私である。
 「安倍 イズ OVER」も含めてのことだ。そう、真に終わりにしよう、と心から願うは安倍政権、自公政治なのである。神様、どうかコンサートが盛況、成功となりますように。お願いします。