残り年内二か月予定などなど2015年11月01日 23時20分35秒

★なすべき我ができることを一つづつ      アクセスランキング: 152位

 今日から11月。いまさらながら月日の過ぎる速さにただ呆れ驚く。今年も残すは二か月となり、早くも冬の訪れを感じている。
 焦る気持ちもなくはないが、ともかくできることを一つ一つ少しでも進めて行くだけだ。怠けているわけでもないしこれが自分のペースなのだからなかなか思い通りにいかなくても苛立ったりしてはならない。

 9月は連日緊迫する国会情勢で大騒ぎして国会前に頻繁に出かけたりともかく慌ただしかったが、それも国会閉会で一区切りとなり、10月はようやく腰据えてやっと自分の事に向き合える考えていた。が、自分にとってとても重要なライブがいくつも続き、気持ちも時間もそちらにとられて予定通りに進まなかった。しかし今は何一つ後悔するところはない。
 それは9月27日の鈴木翁二に始まり、10月23日の豊田勇造、そして27日の田中研二という、我にとって原点回帰というか、まさにうんと若いころ出逢い知った人たちとの久々の再会、ルーツミュージックの確認の場であった。
 その誰もが十代半ばの頃、高校に入った頃に知り深く敬愛した人たちで、勇造さんとは昨年も会ったが、翁二さんとは3年ぶり、田中研二さんにいたっては、きちんと直に言葉を交わしたのは初めてであった。
 ただその三人誰もが、レコードや漫画でうんと若い時に知り、以来、彼らの存在が心の奥底いちばん深い所に根差して、今に至るまで自分という人間の形成に大きな影響を与えてくれたとても重要な特別な人たちなわけで、何故この一か月の間に続けて会う機会が持てたのか不思議でならない。特に田中研二に関しては、正直なところ生きてる間に生でライブが聴けるとは思ってもいないかった。

 我が好きになったミュージシャンは、砂川正和、若林純夫、岩井宏、そして高坂一潮と、こちらから挨拶をして面識を持つ前に、亡くなられる方が多い。高田渡もまたそれに連なり、あれだけ吉祥寺で見かけはしたのに、きちんと言葉を交わすことないまま早逝され、ならばもっと早く積極的に関わりを持つべきであったと死後になって悔やむ。
 そうした薄い縁もまた、我と故人との縁なのだとも思うけれど、やはり大好きな人にはファンとして長年の熱い思いを直接伝えたいという気持ちは当然ある。そして勝手に私淑したものとして、どのようなことでも「恩返し」したいと考える。

 このわずか一か月の間に、そうした自分にとってとても大事な「恩人」と思えるほどの懐かしい人と次々会い、今さらながら約40年も前の、その頃のことを思いだした。※そうそう、その流れはまだこれからも続いていて、マス坊にとってもう一人とても大切な、京都のうたの師匠、古川豪さんが久々に東京でライブをされる。確か11/22日、場所は両国フォークロアセンターだ。
 まだ我は還暦まで少し間があるけれど、還暦とは歳月が回り回って再び元に戻ることだとしたら、その還暦を先取りして、また原点に、今の自分を築いた自意識のスタート地点に戻ったということなのだろうか。そうでも考えなければこの懐かしき人たちの再会の連続という「偶然」は説明がつかない。

 そして彼らと生きて再び出会い、今思うことは、やはり彼らは変わらずに素晴らしく、我の選択や判断は何一つ間違っていなかったという確認と確信だった。時は流れ世は移ろい、そのときどき周りの状況も価値観もころころ変わっていく。だけど、自分が若い時に出会い知り得たものたち、その師と仰いだ人たちは何十年たとうとやはり素晴らしく魅力的で本物の力がそこにあった。
 ならば自分の趣味、センスは間違いなく、やはり正しかったし、そうした出逢いをはからってくれた運命の神に今さらながら感謝した。
 その師匠たちが今も元気でいてくれ、再び連続して彼らに会わせてくれた。実に有難いことだと思う。ならばもう何も怖れることはないし、今さらながら迷わず確信をもって自分を信じてやっていけば良いのだ。

 何をすべきかはもうわかっている。あとは自分ができる、すべきことを一つでも多く、一つづつゆっくりでも粛々と進めて行くだけだ。焦ることはない。
 まずは、チラシも載せたけど、次の日曜の立川での「砂川まつり」がある。我はスタッフとして模擬店の店番などしつつ、ちょこっとだけステージで歌えるもしれない。
 11月は他にもいくつか大事なライブがあるけれど、それはまた別稿でお知らせするとして、年内いちばんのビッグイベントは、12/5日の、谷保かけこみ亭での「第二回反戦歌・労働歌、生活の歌」コンサートだ。どうかぜひまた盛況となるべく多くの方々のご参加お待ちしてます。