平和のために私たちができること・続き2015年11月12日 22時59分49秒

★NO!という声を上げ続けること、阻止するため座り込むこと、そして声を張り上げて平和の歌をうたうこと アクセスランキング: 172位

https://www.youtube.com/watch?v=tasJNPv9J1c ※ 2015/08/30 自由の森学園有志 sing for peace「ケサラ」国会前

 あの八月の終わりの夏の日から三か月近くがたつ。そのとき渦中の問題の戦争法案が「成立」してからも二か月となっていく。時間のたつのは実に早いものだ。12万の同じ思いの仲間たちが集い、怒りの喧噪と警官隊との混乱で汗まみれとなったあの日から季節は今や木枯らしの吹きすさぶ肌寒い初冬となった。嫌でも様々な感慨がわいてくる。
 来週のその「月命日」となる(民主主義の殺された日として、山本太郎に倣って言えば)19日の国会前行動には我はまたギター持って参加したいと思っている。
 さておき・・・

 上に載せた映像は、その2015年8月30日「戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動」での自由の森学園の高校生有志100人が唄ってくれた「ケ・サラ」の映像、先に挙げたのと別の人がユーチューブにアップした映像である。

 我マス坊もこの日、無頼庵の仲間たちとここ国会前に来ていた。が、ともかくものすごい人人人の波、人の渦で、このステージ、――国会正門に向かって、おそらく右側の一角だと思う、――まではたどり着けなかった。
 大通りを挟んで左側の歩道で足止めをくらい立ち尽くしていたら、怒った参加群衆が鉄柵をなぎ倒して阻止する警官隊を振り切り、人の波は大通りになだれ込み車道全てを埋め尽くした。「決壊」の瞬間は実に感動的であった。その数、10万人どころか実に12万。それぞれが大声で叫ぶ、次々繰り出されるシュプレヒコールで、主催者側からの呼びかけやゲストが訴えているスピーカーの音声も何も聞こえなかった。
 その中で、プログラムの一環だったのかわからないが、ユニークな自由教育で知られる自由学園の高校生有志たちが国会前の一角で、何曲かこうして反戦歌、民衆のうたのうたを唄っていたのだ。

 以前も書いたことだが、こうした様々な悪法成立に邁進する、安倍政権の暴走に抗議する集会に参加するようになって感じた、いちばんの不満は「うた」がそこに足りないということだった。
 シールズの彼らがいつもやっている、ラップ調の早いピッチのシュプレヒコール、コール&レスポンスはある。それは勢いがあって実にカッコいい。が、それでは参加者の一時の気分を高揚はさせるものはあるが、集会が終わった後には何も心に、記憶に残っていない。
 マイクを持った先導者が次々と発するコールに、すぐに反応して唱和し返していくわけだが、ともかく若い奴らのことだからスピードが速すぎる。我々、かつての70年代ロック世代でも、今のラップ世代のテンポには追いつき返していくので必死である。となれば、そのうえの団塊、またさらにそのうえの高齢世代となるとそのコールにはついて行けなくて当然かと思う。
 それに比べて、この高校生たちが皆でうたう「ケ・サラ」はどうだろう。緩やかなテンポであるけれど、明日に向かって力強く広く高く大きくうたい上げている。彼らのマジメで懸命な思いがこの映像からも見る側にもしっかり伝わってくる。涙もろくなった我は見るたびに目頭が熱くなる。
 隣でシールズが音頭とるラップコールは、大衆の怒りを高め熱くさせる効果はあるが、高校生たちの合唱に比べれば騒がしいばかりで終わった後にはほとんど何も心に残らない。むろんそれはそれでまた確かな激しいメッセージであり大いに鼓舞されるものがある。
 だが、「うた」は聴いている者の胸を熱くするだけでなく、後々まで心に「温かいもの」を残していく。それこそがうたの効用であり、うたの力ではないのか。

 我はシールズたちとその行動を高く評価する者であるけれど、若者らしいその先鋭さ、過激さにときにやや危惧を覚える。大切なことは一時の熱さよりも長く続くじんわりとした温かさなのだとこの歳になってようやくわかってきた。我が唄い求め考える「うた」とはそうした意味でも皆で共に唄えて、後々までも温かい気持ちを残していくものだ。でなければ「運動」は長続きしないではないのか。
 こうした集会やデモの場では、参加者みんなの思いや気持ちをまとめ心を一つにする方法は必要だ。そのためにも、かつてのアメリカ、ワシントン大行進のように、「ウイ・シャル・オーバーカム」が公民権運動のシンボルとなり皆で唄ったように、運動や闘いにはうたが必要なのである。

 いま沖縄辺野古のキャンプ・シュワプのゲート前で座り込みしている仲間たちを見よ。排除しようとする警官隊に抗わずに非暴力かつスクラムを組み必死に抵抗し続けながらも皆で「座り込めここへ」「沖縄を返せ」そして「ウイ・シャル・オバーカム」を誰も先導することなく自然発生的に皆で声高く唄い続けている。
 闘いがそこにあるがゆえ唄われるのが「うた」であり、それこそが自分の考えるほんとうの「うた」なんだと彼らから教わった。

 うたこそが、皆の気持ちを一つにできるし、皆で共に唄えるうたが求められている。この高校生たちがうたってくれた「ケ・サラ」といううたこそ、今このときに、このこれからも続く安倍政権退陣~戦争法廃止までの長い闘争運動のテーマ曲となったと我は思っている。※19日、国会前集会へ同行される方はお知らせください。いっしょに唄いましょう!

  ♪うたえ うたえ うたえ
   人間のやさしさをうたえ うたえ
   明日に向かって力強く
   広く高く大きく

   ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
   僕たちの人生は
   平和と自由もとめて
   生きてゆけばいいのさ