オスプレイ来るな!2015年11月22日 16時20分05秒

★地元の大集会に参加した。   アクセスランキング: 152位

  今日は朝から晴れて暖かく過ごしやすく風もなく穏やかで格好の集会日和であった。
 福生の睦橋近くの河川敷の公園での集会、地元ということもあってともかく自転車で参加してきた。

 予想していたよりもはるかに多い五千人もの人が集まりちょっと驚かされた。といってもその半数は都内から来られた人のようで、会場のあちこちの上り旗は、遠く足立、江戸川とかもあったから全都からの参加でその数となったのだ。
 情けない話だが、地元だけではこうした集会に数千人も集められない。地元というのは基地と騒音が日常となってしまったぶんだけ、その危険性と脅威にドンカンになってしまうのだ(まして福生市のように基地の「恩恵」を受けている市に至っては)。つまりそうでもしない限りは、人はそこに住み日々の生活は続けられない。この世の中のすべての生物にとっては、真に生存が脅かされる身体被害が起きない限り、つまりオスプレイがじっさいに日常的に飛び交い墜落でも起きない限り、問題は問題だと認識されない。意識して考えることはない。残念だが、そうしたものが一般人=庶民なのであり、その危機を説くもの、抗い反対運動に参加する者はごく少数でそこから始まるのも致し方ない。
 そしてだからこそ問題を訴える人、怒りの声を上げることが大切なのは言うまでもない。すべては破滅的事態が起きてからでは遅すぎるのだ。
 
 そして今日は、私感だが共産党系色が強く、それはそれで悪いことではないのだが、もっと広く他の組織と一般個人の参加がないことにはこの運動は力を持たないと案じて不満はないがやや残念であった。我に言う資格はないけれど、もっと幅広くカクサンさせる努力を主催者はどこまでしたのだろうか。野党は共闘!と共産党支持者だけが叫んでも広がりは持たない。

 それでも五千人もの人が集まり、福生の横田基地ゲート前まで歩く散会後のデモ行進は、かなりの長さと参加者の多さとなって今日の集会は大成功となったかと思う。我は家の用事も残してきたので、最後まで行進に参加せず中途で、シュプレヒコールの響きを遠くに聞き流しつつ帰って来たが、一昨日に続いてこうした集まりに参加出来て良かったと満足している。

 共産党と共産党的な人、キリスト教とキリスト教的な人についてはいろいろ思うところがある。批判も足を引っ張る気もないし、半身以上我もまたどっぷりそこに浸かっているのだからとやかく言えない。が、その教え、思想とその教えを抱く人との距離、ギャップについてはいつか一度きちんと考察を加えたいと思う。特に曽野綾子のような人間については。

フォークロアセンターでの古川豪11.22.2015年11月22日 23時21分43秒

★そう、夜明け前がいちばん暗い、のだとまた新たに力をもらった素晴らしいライブであった。※帰りの電車の中で、大阪では維新の会の候補が知事市長とも完勝したニュースを知って。

 素晴らしいコンサートだった。京都からの古川豪、両国フォークロアセンターでのワンナイトライブ。うたとバンジョーそしてギターを駆使し、その深さ、巧みさ、大きさそして繊細さというこの歌い手の真の実力を余すところなく超満員のファンに見せつけた一夜であったかと思う。久々に満足した。

 古川豪さんとは、我が高校生の頃に、東京からキセルして行った大阪春一番で、貧乏農場というバンドを率いてのを初めて見て以来、途中間は空いたが、実に40年もの付き合いがある。
 といっても、知己を得たのはこの10年ぐらいのことで、フォークソング熱が再燃し、再び大阪春一へ、そして京都にも足伸ばすようになって、紫野大徳寺近くの彼の薬屋さんを訪れてはいろいろお話を伺うようになりフォークソングの教えを請うようになったのだ。

 先にも拙ブログで書いたことだが、我には様々な分野で勝手に師と仰ぎ「師匠」として私淑している方たちが何人かいる。その中で、フォークソングの師匠は、ここフォークロアセンター主宰の国崎清秀氏であり、彼からセンターでカントリーやアメリカンフォークソングの知識を学び、じっさいの音とそのうたの理念は古川豪氏から大いに教示を受けた。むろんそうした方たちにきちんと弟子入りしたわけでも弟子として認められたわけではなく、あくまでも憧れ、尊敬し勝手に不肖な弟子として私淑しているだけのことで、深く影響を受けた恩人である。

 今年の夏から秋にかけては、戦争法案反対集会などで大忙しなのに、なぜかそうした若き日に出会ったさまざまな分野の我が師匠たちが次々と東京に来られた。

 まずは、漫画と酒、そしてうたも含めて高校生の我を導いた鈴木翁二さんが北海道から突然来られて彼のライブをセッティングし、次いで年一の豊田勇造、さらに先日のフォークロアセンターでのオーストラリア・シドニー在住の、そのレコードは我が愛聴盤ランキングナンバーワンの田中研二氏、そしてオオトリとして、ついに京都から深く深く敬愛しているフォークソングの師、古川豪さんが来られたのである。
 このところ、そうして知己を得てからは、我が京都に行ったとき、また彼が所用で東京に来られたときのライブなどにはほぼ必ず顔出すようにしていた。常に変わらず素晴らしい歌声とその超絶テクニックを示してくれるのだが、正直にいえば個人的にはやや不完全燃焼感を抱くことが多かった。

 師に対して非礼だと承知で書くが、豪さんは世に知られるイメージのように温和で常に笑みを欠かさない人だが、実はその名の通り、その身の内側には常に熱い火が燃え盛っている人で、昔でいう熱血漢なのである。またとても繊細な人である。まあ、歌い手はたいていがそうだろう、その火がなくてうたなんて唄えないはずだ、とご指摘されれば返す言葉もないが、彼は不器用というのかうまくその「火」の加減を自ら押さえつけたり調節したりするのが得意でないのか、あえて抑えないようにしていたのか、ライブではその内心の火加減によりときどき出来不出来があった。そう、ふと感じたのは我の気の迷い勘違いであろうか。
 といっても、それはフツーの観客には何もわからないほどのことで、長いキャリアを持つプロ中のプロとしてそんな差など目に見え、音に出ることなど全然ない。が、昔から彼が若く元気で縦横無尽に唄いまくっていた頃を知る者としてみると、近年はそこにどういう事情があったのか定かではないが、何か元気ないような感じがしていた。会うごとにやや疲れと苛立ち、焦り気味な感じがいつも漂っていて、弟子としてはとても心配もしていた。そしてその雰囲気がライブにもときたま顔を出していたかのように思う。観たときは、いつも満足し決して悪い出来では全くないのだけど、心の底ではこの人の実力、魅力、素晴らしさはこんなものではないはずだという気持ちがややあったことを今告白する。

 それが本日のライブは、そうしたこのところ我がふと感じていた焦燥感のようなものは一切消えて、達観、恬淡とし泰然自若な悠々としたステージであった。枯れたというわけではない。実生活がどう影響していたのか何も知らないが、開き直ったというか一皮むけたような終始落ち着きはらった余裕ある堂々たるもので、ああこれこそ我が古川豪だと感心感嘆しながら観続けた。

 また今日のロングネックのバンジョーは実によく鳴った。門外漢であるけれど、こうしたバンジョーを用いるプレイヤーは何人も見て来た。が、今日ほどこの楽器はこんなにも綺麗で繊細なガラス細工のような、巧みに鳴り響く素晴らしいものだと全く気づかないでいた。豪快な津軽三味線のように明るく弾く人はよくいる。豪さんが弾くと同じ楽器なのにこれまで聴いて来たバンジョーとはまったく違う心に響く美しい音がしていた。いったいこの宝石のような音はどこから出てくるのか不思議に思い目をこらした。そしてふと思った。他のプレイヤーは人がバンジョーを弾いている。古川豪は、彼が弾いているのだけれど、人でなくバンジョーが自ら弾いて鳴っているのだと。それほど巧みな一体となった音楽の神様のような演奏だった。

 それと、付け足しのようで申し訳ないが、今日もサポートでフラットマンドリンとギターで入った館野公一さんも素晴らしい演奏だった。先日の田中研二のときも非の打ちどころのない共演を見せてくれたが、今日も旧知の豪さんとぴったし息の合ったサポート役に徹して場をさらに盛り上げてくれた。先の豊田勇造との共演以来、ますます油が乗って来たと感じるのは我だけではないだろう。
 私事だが、このお二方と友人関係となれて真に光栄だと胸を張ろう。

 豪さんの素晴らしさについてはいくらでもまだまだ書ける。が、あと何回書いてもその素晴らしさはこのブログに収まるものではないと我は思う。