国家は誰のものか2015年11月09日 00時59分56秒

★砂川で考えたこと
 
 国家とは、人民による人民のためのものであるはずだ。少なくとも議会制民主主義国家では。が、現実のはなし、今は安倍政権、安倍晋三の手の中にある。安倍と彼の取り巻きが決めたことは全て思い通りに何でもできると、憲法などどのようにも勝手な理屈と解釈でないがしろにできると思っている。彼らは憲法の上に立ち、そして実際にそれがまかり通ってしまっているのが現実だ。

 抗う声、反対の声、過ちを指摘する声は、憲法学者から無名の一市民、若者から老人まで無数に数多くある。が、彼らは一切耳を貸さず、国民の命と財産を守るためだとか建前と屁理屈を言っては、無法と非道の限りを尽くしている。
 そんな横暴ができるのは、政治の力、衆参両院とも絶対多数の与党自公の議席数を持ち数の力を頼り誇っているからだ。そしてそれを与えたのも国民なのである。今の選挙制度が民意を正しく反映しない、巨大政党に有利にできているといると怒っても合法なのだ。たとえ司法が違憲だと判断としたとしても議会を上回る力はない。国家を統治する権力を手にした者は議会とはかり何でもできる。その議会も与党手数で支配下に置いてしまえば秘密保護法、そして戦争法成立の過程を見るようにまさにフリーハンドで何から何まで思い通りとなってしまう。となると安倍独裁政治と呼んでも間違いでない。だが、それは許してはならない。

 今沖縄で起きていることは、国が決めたことであり、国とは安倍内閣のことである。そこでは、辺野古埋立て新基地建設に絶対反対している沖縄県民という国民の意思はまったく無視されている。
 砂川闘争は、立川という東京近郊の場で、今沖縄で起きていることと同様の事態が起きたわけで、当然都内や近県からも反対運動を支援する仲間たちが大勢連日集まって来た。砂川の「勝利」は地元農民市民だけでなくそうした支援者たちに支えられた。

 沖縄の哀しみと不運は、日本本土から遠く離れた島国で、そうした支援が得られないということだ。沖縄の問題は沖縄県民たちだけで、「解決」しないとならないという辛い大変な現実がそこにある。そして知事を筆頭にいくら全県挙げて国家の方針に抗い反対運動を繰り広げても強大な国家権力を前にしては沖縄全体で反対しようとも一県だけでは全く非力なのである。アリが象と戦うようなものでしかない。その反対運動を支持する支援者は全国にたくさんいるが、声と体を沖縄に届けたい思いは強くとも、いかんせん沖縄まで出向き、「仲間」として運動を支えられる者はごく少数だ。

 普天間基地の危険除去の名目で、辺野古の海を埋め立てて新たに巨大な、恒久的な米軍基地を作ることを強行することは、沖縄だけの問題ではなく、日本全体の安全保障の問題であり、米軍基地を沖縄にこれからも過剰に押し付け、何も素知らぬ顔している本土の日本人がたくさんいることこそ問題の根源にあるいちばんの問題なのだ。無知と無関心こそ罪悪だとこのところつくづく思う。それは我が身を顧みてのことだ。

 そもそも本土のマスコミは、新聞もテレビも沖縄で今起きていることをほとんど報道しない。けんめいに事実を報道しているのは県内発行の二紙だけで、それを愚かにも某人気小説家は、その新聞は偏向しているから潰さなあかん、とのたまわった。起きている非道かつ無法なことを日々大きく報道のするのは県内のメディアとして当たり前のことであろう。「偏向」しているのは誰であるかは言うまでもない。

 県民の怒りをことごとく無視して沖縄にまた新たに強大な軍事基地を押し付け、ここ横田に墜落危険度ナンバーワンのオスプレイを配備しようとしている「現実」を、日本人に一人でも多く知らしめないとならないと思った。さもないと偏向したマスメディアは、安倍政権がまたも繰り出した新三本の矢なる、まったく中身のないキャッチフレーズをもてはやし、政権支援の偏向をさらに加速していく。そして本当に大事なこと、大切なことは今のNHKのようにできるだけ報道しない。

 何が一億総活躍社会であろうか。わざわざ中身のないキャッチフレーズのために大臣までおいて、耳ざわりの良い絵空事を並び立てる。そのイメージと東京オリンピック特需という原発再稼働的目先の利益誘導に惑わされて愚かな国民はまたも踊らされる。笛吹男の導く先はどこであるか考えなくてはならない。

 強大な権力を手にした者たちは、昔も今も「国家」の名を借りて、お国のため、国民のためだとか称しては、国民の一人ひとりである個人の権利を踏みにじり砂川然り沖縄然り、地元の意思を常に無視し抗う者を弾圧し無法な蛮行を強行し続けてきた。彼らの眼中にあるのは、国民市民ではなく、巨大国家アメリカとその軍事基地に群がる利権者たちの意向だけだ。
 人権侵害も甚だしいが、人類史上最大の人権侵害である「戦争」参加を、安倍晋三は大多数の国民の抱える不安の声を無視してアメリカの大統領オバマとの約束を優先させたのである。公約破りのTPP然り、これはもう売国奴と呼ぶべきであろう。そんな男に日本の政治をこれからも任せては絶対にならない。
 

 来年の参議院選挙こそまさに闘いのラストチャンスであろう。ここで三度安倍政権を国民が支持信託してしてしまえば、またさらに彼らは驕り高ぶり独裁と暴走の度を高め恒久的に自公政権は続いていく。日本は破滅へ突き進んでいく。そうさせないためにも来年夏の参院選がまさに正念場となる。
 ともかく怖れず臆さずに声を上げていこう。沖縄への連帯の思いを抱えつつまず足元からできる闘いがある。そう確信を得た今年の雨の中の砂川であった。