大阪のW選挙にみる、野合と共闘2015年11月23日 08時41分53秒

★野党は共闘は良し、だが、共産党が安倍与党自民と共闘してどうする?

 うかつなことは書くとまた面倒な結果を招くとこころする。が、いかに橋下維新が悪いとしても、彼らを倒すためだとしても共産党さえも大阪の自民系候補を自主支援するのはオカシイことだとはっきり言いたい。

 これは橋下氏に言われなくとも、理のない野合であり、大阪の人たちもさぞ困惑したことであろう。結果として前回に比べ低投票率と維新の大勝をもたらしたのだと思える。
 「野党は共闘」は大事だ。だが、いくら橋下維新憎しとしても、安倍与党と共産党が「共闘」するのはどう考えても理解に苦しむ。目的のためには手段を択ばないのが政治だとしても、目的がなったとしても理念を失う。それはマキャベリズムだろう。

 共産党がすべきであったのは、自民と根の同じ弱者切り捨てと市場原理優先、人権軽視の大阪維新という政党を、安倍自民と同時に俎上に乗せ共に批判糾弾していくべきであった。それとも敵の敵は味方だとでも言うのか。そんな理屈は成り立たない。
 「オール大阪」はええ。が、そこに自民まで入れたらもう、わやくちゃやないか。こりゃ、あかんで。
 そのためにも共産党は真の「革新」候補を立てて、安倍自公と維新を強く批判しきちんと論陣をはって戦うのが理のある方針でなかったか。結果として維新を勝たす行為となったとしてもその理のある訴えは人心に届き国政選挙に結びつくはずだ。

 むろん国政と大阪知事選、市長選はまた違うという声もある。しかし、小選挙区一人区と同じ構図だとしても、誰とどこまで共闘すべきかはよくよく深く考えねばならないはずだ。
 国政一人区で、自公の候補に立ち向かうためには、野党は一つにまとまりよく話し合い候補者を調整し互いに各区ごとに支援しあわねばならない。さすれば野党各党の支持票は分散せず自公に勝てる。それは絶対的に正しい戦術だ。
 が、今回の大阪のように自らは擁立せずその当面の敵、真の敵自民とも手を組む、自主的でも支持することはありえない。維新を落とすためには手段を択ばないとしても結果として自民を応援し支持することでないのか。安倍自民と大阪の自民党はまた別な政党か。
 ※地方政治では国政で敵対する政党が共に相乗りする図式が目立つが、それは本来おかしなことだと我は思う。国政と地方は別という理屈など成り立たない。地方の先に国政があるのだから、そこに統一性が求められるはずだ。そして地方こそが国政の根幹を成すものでないのか。

 広く大衆の支持を得るため、柔軟な共産党となったのは喜ばしい。日本の政治の行く末、この国の未来は共産党がカギを握っていると断言しても間違いであるまい。が、あまりに緩くなりすぎ目的のためには手段も択ばず志さえ失ってしまえばかつての社会党のように真の支持者からも見放され消えて行く。
 野党の共闘は良し、だが、それは理念を欠いた野合であってはならない。目下の事や目先のことも大事だが、大義を欠いては元も子もない。

 我は党員でないからこそはっきり書く。その理念を失ってしまえば政党は政党として存在価値を失い衰退していく。自らも含めて過ちは過ちだと認めはっきりさせ、おかしいことはオカシイと「問題」を訴えていくことだ。結果はとうぜん大事だ。だが、結果を求める以前に志を失うなかれであろう。それは個人も政治も変わらないはずだ。