明日は、日比谷野外音楽堂へ2015年11月28日 20時28分36秒

★同行者募ります。             アクセスランキング: 93位

 忙しいとか慌ただしいとか言っても仕方ない。じっさいの話、こうしてブログに時間割けるのだから、まだまだ状況は大した事態に至っていないのだ。田中正造翁曰く、本当の「辛酸佳境に入る」のとば口にようやく立っているというところであろうか。
 いろいろ先のことを考えれば、自らの先行きも日本の行く末も憂鬱かつ不安な気持ちでいっぱいとなる。が、先のことはわからないからこそ、まだできるうちに、まだ動けるうちに、やるべきこと、やりたいことをやっていこうと思う。
 本当に事態が「悪化」すればどんなにやりたくても、動きたくても何一つできなくなる。だからこそ、多少大変でも辛くてもできるときに、動けるうちにあれこれやっていこうと考えている。

 明日は、『11.29辺野古に基地は造らせない大集会』で、日比谷野音での集会&デモ行進に参加する予定でいる。
 正直なところ、先だってのフォークロアセンターでのライブ観覧以降、また腰痛気味で、他にも用事や課題山積のこともあり、家にいたい気持ちもあるのだけど、今沖縄で起きていることを思えば、自分ができることはこの集会に参加することぐらいであり、まずはここからだと思う。
 大変だとしてもできるときに、少しでも動けるときに「行動」しておかないと後々後悔するし、自らを欺くことになる。
 不言実行できれば良いが、こうして好き勝手なことを書かせてもらい読んで頂いているのだ。ならば少しでも有言実行せねば、口先だけの嘘つきだと指弾されても返す言葉がない。

 人生なんて、たかが生きても八十年そこらだろう。何かしてもしなくても、何もできなくてもおそらくあっという間に気がつけば死んでしまう。もう残り少なくなってきた我が人生だが、ずいぶん無駄に無為にして来たぶんだけ、もっと有効に、世のため社会のため、そして隣人のために使いたい。

 世の中に、いやこの日本の中に、悪政に苦しみ今も闘い、連日連夜基地のゲート前で座り込みしている人たちがいるのなら、その人たちを励まし連帯したい。いや、国家に抑圧されている万国の人民は共に連帯し立ち上がらねばならない。
 むろんそんなことは誰もが出来ることでも必ずすべきことでもない。人にはまず自らの生活があり、まずそれを維持し明日へとつなげて行かねばならない。とにもかくにも日々を生き抜いていかねばならない。

 だからこそ、今我に少しでも時間と余力があるならば、明日は日比谷へ行く。行かねばならないことはない。こうして動けるうちは動いていく。やがて嫌でも動けなくなる時が来る。
 だが、ビクトル・ハラは腕を切り落とされても歌っていただろうし、グェン・バン・チョイは公開処刑されたときも目隠しをとるように言い、最後の最後までアメリカ帝国主義とその傀儡南ベトナム政府を声高く糾弾し続けた。

 闘いの先のことは考えない。ただ今我々ができることをやっていくだけだ。人生とはそもそもそうしたものであろう。勝ち負けなんかカンケイない。いかに生きたかだけだ。ならば我はまだ生きていない。