この平穏はいつまで続くのか2015年11月17日 22時42分57秒

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 この数日、有難いことにこの季節にしては暖かい晴れた穏やかな日が続いている。外で作業するのには大いに助かる。

 今日は火曜で、老親も我も土日以外、病院やデイサービスに出かける用事が何もない唯一の日で、庭先の作業に精出した。
 といっても次々と落ちてくる銀杏の実を拾い集め剥いて洗ったり、落ち葉掃きやこれから室内に取り込まねばならない寒さに弱い植木の鉢の手入れなどで大した作業ではない。

 それでも腰が痛いとかフラフラだとこぼしつつ老いた親子三人で一日庭作業に専念できたのは思えば実に幸福なことだろう。親たちの姿を見ていてふとこんな日があと何日あるのだろうかと思い至り感じいるものがあった。

 じっさいの話、若い時から病気がちの父も癌を患う母も実に長く生きて来た。世間では、70代、生きても八十そこそこで死ぬ人たちがたくさんいる。我が世代を見回しても両の親二人とも健在なのはまずいない。片親でも生きていれば良いほうで、それも介護に追われ病院に入れたり共に暮らしてなくとも老いた親というものは大変な重石になっている。
 ウチもまた老親と同居している、彼らの世話する身としてはもうかなり心身共に限界気味ではあるが、まだ寝たきりとか病院に預けなくてはならないというほど「悪化」はしていないので、失禁や粗相、飯をいかにして食べさせるかに手を焼く程度のことで、24時間目が離せないとか夜中でも起きて介助せねばならないほどでないぶんまだかなり楽観的だと思い直した。まあ、トンチンカンかつ奇矯な行動、人を怒らせる問題発言にはもう呆れも怒りもしなくなった。

 九十を過ぎた認知症の父と八十半ば過ぎの癌患う母なのである。よくも二人をここまで長生きさせたという自負も我にあるけれど、今はこうしてフラフラよぼよぼながらもともかく動けてはいても、ゆがては早晩寝たきりになるだろうし最終的には病院に入れてこちらは日々通う羽目となろう。そして看取り見送る。

 しかしそれもまた当然のことであり覚悟して備えておかねばならない。それが人の老いるということであり晩年ということなのだ。戦争に青春時代を奪われ、後は日々の生活に追われ、さらにこんな不肖の不良息子を持って苦労ばかりの人生であったわけだが、それでもこんな晩秋の穏やかな日々のような晩年を迎えられることができた。彼らにそんな感慨があるかわからないが、まあ人並みの良い幸福な人生だったのではないか。

 見守る我には彼らのような穏やかな老後は決して来ない。独り身の地獄と孤独を甘んじて受け入れていけと秋の日に思った。