癌を抱え生きて、死んでいく・前2015年11月03日 23時15分47秒

★起こることは全て赦し受け入れていく         アクセスランキング: 139位

 これは書くべきか、書くとしてもどう書くか迷うが、起きたことは何事も包み隠さずに記していくと決めたのでやはり書くことにする。

 私ごとだが、我が母の癌が進行したので今後は新たな対処法を取らざる得なくなった。おそらく来年早々にまた抗がん剤治療が始まることになるかと思う。昨日の定期検査で部位の肥大と腫瘍マーカーの数値が上がっていることを担当医から告げられた。

 ある程度は覚悟も予想もしていたので、ショック受けた気はしないし、まだできること、とるべく手段や選択肢は残されているので、死が直近に迫って来たとは考えないが、これから本格的な癌との闘いがまた新たに始まるのだという気持ちの高ぶりはある。

 まずは、再来週全身のCTを撮って、どの程度からだ全体に癌は転移し散らばっているのか確認してから、場合によっては年内のうち、さほど慌てる必要なければ正月明けからまた数日入院して抗がん剤を投与していく治療が始まるはずだ。

 ただ、母は85歳という高齢であり、体にかける負担を考えるとき、その歳で抗癌剤という選択はかなり危険な賭けであることは間違いない。医師もあくまでもご家族でよく相談して決めてほしい、もう一切何もしないという選択肢もあることを説かれた。先にも書いたが、もう外科的手術はできないと医師から宣告されている。

 果たしてどうなるか、どうすべきか、正直迷うところだが、何もしなければ、やがてさらに癌は成長しまた部位近くの腸などを圧迫したり転移もしたりと全身の不調は進み食べられなくなって痩せ衰えていくだろう。それだけでなく当然痛みも起きて苦しみその世話に追われていくかと思う。そして癌で死ぬことになるわけだが、その期間がどのぐらいあるのかどういう経過をたどるのか何もわからない。
 今、日本人女性の平均寿命は88歳ぐらいかと思うが、その歳ぐらいまで、願わくば90歳辺りまで癌と共に生きてくれるのなら、抗癌剤を入れずに何もしないという選択はありかと考える。
 
 まずは、再来週そのCTを撮って、それを見て昨日再度とった血液の数値と照らし合わせて、家族としてどういう選択をすべきか決めることにしよう。

 いずれにせよ、人は誰もが必ず死ぬ。我が父も母もずいぶん長生きしている。ここまで生きればもはや問題はその死の原因が何によるものかという問題だけのことだ。脳梗塞や肺炎、あるいは転んで頭打ったりと突発的事故もままあり得る。その最後の原因、死因が何が良いかと問われているだけのことかもしれない。

 むろん一日でも長く、できれば元気で健康で、願わくば意識もしっかりあって生きていてほしい。いや、自分だってそうありたいと望む。しかし、火事や事故死などを除いて、老いて死ぬということは、そんな虫のいい、都合良い思い通りになるはずがない。だいいちそれでは人はいつまでも死なないではないか。
 死ぬためには全身が衰弱して、段階的でも意識もなくなっていき死ぬべくして、死ぬ段階に達して人は死ぬはずだ。そしてその当人を見守り看取るのが終末期ということだろう。

 ならばあとは覚悟だけが問題となっていく。しかし正直なところまだ覚悟もすべての準備ができていない。死そのものよりも、死を迎え入れる、受け入れることが何より問題なのだと今気づく。
 この稿、もう一回詳しく書く。