とりあえずまた少し生きながらえたかと2016年04月08日 23時54分00秒

★人の死に行く道を思う
 
 今日は午後、母の入院している立川の総合病院に行ってきた。昼頃に集中治療室からまた元の病室に移されたとのことで、昨晩は麻酔が切れたり、両隣のベッドの人が夜中に騒いだりしたとかで良く眠れず、母は午睡から目覚めたところだった。
 医師の話だと、まあ経過は良好で、腸の手術をしたばかりだというのに、今晩からは重湯も出る予定で、口から少しづつ摂れるよう慣らしていくらしい。この感じなら存外早く退院できるかもしれない。我の希望的観測であるけれど。

 昨日の夕方、手術を終えたときの母は意識朦朧で、痛みもあったのか閉じた瞼の端にうっすら涙もにじんでいて、酸素マスクをあてられたその姿は子として見てもあまりに痛々しく弱弱しくて帰り道思い返しては胸が痛んだ。
 86歳の痩せ衰えた老人に、こうした開腹手術をせねばならないことはそもそも良いことであったのかとあれこれ考えてしまった。しかし、そうもしなければ、口から食物を摂れない状態はさらに悪化し痛みも増し痩せ衰えてしまうのは間違いなく、癌の進行以前に衰弱して死期を待つだけとなっただろう。
 ならば体に負担はかかることでも少しでも何か手が打てること、できることはすべきなわけで、やはりそれは良かったのだと今は思うしかない。
 まあ、それは今日、ほぼ元気が戻ってきた母と会い話したからで、ようやくだが、手術は無事終わった実感を持つことができた。登山ならば辛く急な上り坂だった峠道を越えて、後は緩やかな下り道に入って来たという感じであろうか。もう山坂はないと思いたいが先のことは案じても仕方ない。
 ただ、母はとりあえずこれでまた少し生き永らえるようになったかと思える。そしてそのことは我もまた同様に。

 それにしても、誰もが人は死に行く身なのだが、子の立場として我が親は誰よりも長生きしてほしいと当然望むものの、死ぬまでにこうした山坂をあとどれだけ越えていくのであろうか。
 死ぬのも楽じゃないと、我が祖母だったか誰かがよく言っていたことを思い出す。そう、死ぬまでも一苦労する。死ねば楽になるかはともかくも、死ぬまでが波乱万丈とまでは言わないまでも一波乱どころかいろいろ様々な展開は常にあるものだと今さらながら考えてしまう。

 むろんのこと、風呂の中で急死するとか、脳梗塞、脳卒中で倒れてそれきり意識が戻らず数日後死ぬというようなパターンもよくある。そうした長患いをしない、周囲に介護の手間をかけないのが良い死に方なのかはわからない。ただ、それではあまりに当人も家族も突然過ぎて、特に周りはショックを受けるばかりでなく後々もあれこれ後のことが困るのではないか。
 ならば、緩やかに時間かけて少しづつ衰えて死に向かうというようなスタイルが理想かとも考えるが、何にしろそこに何らかの身体的苦痛や死ぬ辛さが伴うのは仕方ないことなのであろうか。

 どんな死に方が良いかとか考えたって意味がない。とにもかくにも人は最後の日まで一日一日とことん精いっぱい頑張って貪欲に生きて行かねばならないはずだ。そして家族、周りはそれを支え応援していくだけだ。

 人は誰もが必ず死ぬ。メメント・モリというラテン語で、「死を想え」という言葉はある。死は当然こうなってくると嫌でも意識してしまう。が、こうも思う。いつ、どう死ぬかではなく、今さらだが残りの人生をどう生きるかこそが今問われているのではないのか。

 すべては神の愛、神の御心の現れだとするならば、日々願い祈りはしたとしても人は何一つ自らでは選べないし決められない。ならばこそまず一日一日を一期一会の気持ちで、明日は来ないものとしてまで思って、今日を、今という日を丁寧に愛おしく生きて行けば良いだけの話ではないのか。
 それは母のことではなく、今の自分の気持ち、自分のことだ。

 このところずっと母の病のことを「報告」してきた。まだ先のことはどうなるのか何ともわからないが、とりあえずいったんこれで終わらせることにしようと思う。むろんまた何か新たな事態や展開があればお知らせするが、何もなければ無事でいるとご判断頂いてかまいません。
 いろいろご心配おかけしてごめんなさい。多くの方から励ましと祈りのご声援頂きました。申し訳なくも有難うございました。私は自分が思っていたよりも幸福者だったと気づきました。本当に有難いことです。

 死ぬために生きる、死ぬまで生きるのではなく、まず生きて生きて、ともかく何がなんでも生き抜いて、その先に電池が切れるように、終わりとしてやってくるのが死だと、今は思いたいし、そう思っている。
 とことん生きて、結果として死ぬ。それで良いのだ、と。ならばそこに悔いはないはずだと思うのだが・・・

コメント

_ kita ― 2016/04/09 10時37分19秒

このところずっとあなたの誠心誠意の実践的な愛に深く教えられ、心が震える思いでいます。

_ モジロー ― 2016/04/10 10時26分03秒

母上、とりあえずは手術してよかったようですね。ご回復を希っています。わが母はアスベストによる悪性中皮腫で寝たきりですが、高齢のため病状が進行していないようで、いまは落ち着いていてひと安心。母には苦痛少なく長生きしてもらいたいと思うものです。

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