うたとは何か、音楽とは何かが見えてきた晩2012年01月28日 23時35分41秒

★吉祥寺スナックブロンでの肥後真一のライブを観て

 良いライブであった。残念ながら客の入りは悪かったが、久々に面白いライブを観た。そしてどっと疲れた。でもそれは心地良い疲れであり、何で疲れたかというと歌い手の緊張がそっくりそのままこちらにも伝わってきてある意味ハラハラドキドキしながらその時間を共有したからだ。こんなライブは久々というか、考えてみればこのところ記憶にない。

 今の自分にとってコンサートとはごく近しいミュージシャンたちと付き合いとして過ごすためのものであり、手の内も知っているどころか酸いも甘いも、ある意味欠点さえもわかって認めてそれすらも好きだという古女房のような関係(向こうはそう思っているはずもないが)に近しい人たちが多い。だからそこに新鮮な驚きなどはまずないし、ある意味毎度のうたを毎度同じ気持ちで聴いているに過ぎない。でもなんでそのライブに足を運ぶかと問われれば、やはりその人が好きであり、その音楽、そのうたが聴きたいからだとしか言いようがない。それも音楽の聴き方付き合い方であろう。

 しかし今晩のブロンでの肥後真一の初ソロライブ、そうしたマンネリ化した関係はとうぜん全くないわけで、むろん彼のうたは何曲か知っていてある程度想像はついたとしても果たして彼一人で一定の時間語りも含めてステージが保てるか正直かなりの不安があった。またそれが楽しみであり期待も大いにあった。

 ではそのライブはどうであったのか。開始前の緊張ぶりに反して始まれば堂々たる演奏とうたで投げ銭とはいえ十分に金がとれるステージとなったことは喜ばしい。休憩無しで1時間、寡黙な彼がワンマンで場を持たせられるとは危ぶむところ大だったのでほっと安心した。彼の持ち味もよく出ていたし初めてのワンマンライブとしては客の入りは別として成功だったと思う。
 が、彼のライブを観ながら改めてうたとは何か、それを人前で場を設けて唄うとはどういうことなのかいろいろ考えさせられた。ある意味、自分も彼と共に唄ったようなもので、ステージの進行やコンサートのあり方も深く考える場となった。
 そうしたこと全てを含めてとても良い深く印象に残るライブであった。残念なことに他のシンガーではこうした刺激を受けることはもうありえない。一人の新たなうたい手が今うたを携えその世界に入っていくその瞬間に立ち会えた。これは実に稀有な体験であった。

 彼もまた多くを学び得るものがあったに違いない。が、観客である自分もまた彼から多くのものを得、大いに気づかされた。うたとは実は本来こうしたものであったのだ。一つの完成された芸を金出して鑑賞するものは「うた」ではない。それは映画や舞台と同じく興行であって「うた」本来のあり方ではない。今晩のライブはある意味運動としてのフォークソングの原初のカタチが垣間見られたような気がしている。

 肥後真一、次回は西荻でのみ亭でやる。今自分にとって彼ほど興味深い面白いうたい手はいない。彼がやがては手馴れてその方法論を手に入れてしまう前にぜひ今の彼を観ておいて損はない。そう、岡大介にも中川五郎にもこんなときがあったはずなのだ。

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