老人臭の考察2012年07月01日 09時19分28秒

★今や自分もまた立派な老人臭

 加齢臭という言葉は昔はなかった。今ネットではやたらと臭い、もしくは匂いを抑える、あるいは好ましく変えるというサプリメント?の広告でいっぱいである。

 人もまた動物であり、有機物であるのだから臭いがあるのは当たり前である。が、確かに好ましい臭いとそうでないものは別個に存在している。それは男女を問わない。臭いというと女性はオジサン、中年男を想定し忌み嫌うかもしれないが、その嫌われる側からすると若い女性のほうが異常に香水臭い人もいて近くにいると頭が痛くなるほどの悪臭にもなる。

 ウチに毎週配達に来る生協の女性がいる。その人が何故かそういう類の人で、誇張抜きに来る日は、車から着いたとたんプンプン匂ってくるし、彼女が注文品を置いて帰った後もしばらくそこいらに香水の臭いが残っている。職場の人は何も言わないのかと思うし、まして当人は平気なのかと心配するほどだが、存外本人はもう鼻が麻痺してしまい気づかないのだときく。でなければあれほどの強烈な臭気に平気でいられるはずがない。

 臭いというものは化学的にこしらえたそうしたものでない限り、決して耐えられないほど不快なものはないはずと考える。むろん生卵の腐ったような蛋白質の腐敗臭は強烈で吐き気さえもよおすが他の臭い、もともと自然に発生する体臭のようなものは好ましいかは人それぞれでもネット広告で騒ぎ立て不安を煽るほどのものではない。

 じっさいその人が好きで好感情を抱く場合は体臭、口臭などはさほど気にならないものであろう。恋愛とはあばたもエクボに見える心境なのだから。最初から好きではないから悪感情があるからついでに臭いや服装なども気になり嫌悪するのである。男女の性愛などの場合はその臭いすら大きな要素となるはずだし、個人的に臭いはないよりあるほうが良いと断言するのはこの無臭時代に逆らうヘンクツの謂いであろうか。

 さて、加齢臭というものがどういうものか「当人」はわからない。自分には妻もそれを指摘してくれる「娘」もいないので臭いのかどうかさえ判然としない。ただ、老人臭というものはよくわかる。今の自分の部屋、特にベッド辺りはその臭いで満ちている。それは腰痛で用いた湿布薬の臭いである。これにジンタンと漢方薬、そしてポマードのような匂いが混ざれば完成するのでないか。自分は大家族で育ち、祖父や祖母が幼い頃から身近にいたから彼らの部屋に入るとこうした匂いを嗅いだ。それはある意味懐かしい好ましい匂いですらある。

 だいたい老人なんて糞尿臭を除けば体臭なんてもはやほとんどないのである。新陳代謝だってもうしていない。彼らの臭いというのはこうした薬の臭いが中心で、そこにかび臭い湿った布団の臭い等が混ざれば立派な老人の部屋が出来上がる。

 今の人は臭いを嫌い厭うばかりであるが、実は臭いから思い出す記憶も多々ある。ある女性は満員電車の中で昔付き合った男と同じ体臭の男と出会い、忘れていたその男のことを思い出したと話していた。自分にもそうした匂いが呼び起こす思い出は多々ある。西欧の記憶とは実は向こうの食べ物の匂いに他ならない。

 匂いがまったくない世界、あるいは良い匂いばかりで悪臭がない世界は良い世界ではないと自分は考える。まあ、目や耳に比べて鼻などなくても人は生きていくのにさほど困らないのも事実であるけれど。

 ※まあこの程度の文章なら腰も痛くならず一気に書けた。全てをシンプルに凝らずにさっさっと済ませていきたい。病む体を騙しだましなだめながら。【終】

オスプレイも原発もいらない!2012年07月01日 21時14分04秒

★安全性が確保できないものは誰だって望まない。

 大飯原発は再稼働し始めた。しかし国民の多くはそれを望まないし許しはしない。そのことは沖縄や岩国の米軍基地へのオスプレイ配備だって同じことであり奇しくも今日夕方のテレビ二大ニュースはどちらも多くの県民、国民がそれに強く反対しているというものであった。そして今なお政府はそれを無理やり押し切ろうとしている。
 
 今世界は変わる、そのことを実感している。3.11以後、原発にまつわる全てのイカサマ的隠蔽体質、欺瞞はあからさまになりもう国民は騙されはしないし政府の言いなりにはならない。そして米軍基地の問題も全く同じことで危険極まりない誰も望まないものを地方、中でも沖縄に無理やり押し付けてきたのである。むろん、そのぶん地元には巨額の金が落ちるようにして、基地や原発に依存しなければ生きていけない体質にさせてきたのだ。

 だがそうした長年の歪んだ国策、経済優先の論理にはもう誰も与しない。命あっての物だねという言葉通り、どれほど金をもらっても危険極まりのないものを受け入れるバカはもういない。問題は今の為政者、政権・政治家と国民の意識が大きくかけ離れていることだ。旧来の自民党とは違う政策をマニフェストに掲げて期待担って政権交代したはずの民主党が、自民、公明と一緒になって公約はすべて投げ捨て旧来の政治を強引に続けている。原発再稼働という強行、消費税増税という公約違反、そして普天間基地移設どころか事故多発のオスプレイ受け入れである。いったい誰のための政治なのであろうか。

 彼らは国家国民のため、日本の将来のため決断したと言うだろうが、TPPにしろそれは国民のためになるどころかまさに亡国への道であり、国民を危険にさらすことに他ならない。でも多くの人たちはもう目覚めた。この国を動かしてきた全てのシステムは、大企業と官僚、そして米国の手先となった政治家たちが彼ら金持ち特権階級の権益維持のため国民の命と富を犠牲にしてだまし続けてきた国家的詐欺イカサマだったのだと。

 政治を今国民の手に取り戻すチャンスなのである。この国の人々はずっと政治を人任せにしてきた。この国の民主主義とは断念なことにアメリカから与えられたものであった。だから国民は政治に関心がなかったし深く政治を考える機会もなかった。いつだって人任せにしてきたのだ。そしていつしか貧富の差は増大し格差と貧困の日本になってしまっていた。
 悲惨な3.11は天災であったが、原発事故は人災であり、多くの人々の目が開かれ意識も大きく変わった。もう政治家たちに唯々諾々と騙されはしない。自らの命と安全、平和のために誰もがアクションを起こしていく。すべてはここから今日から始まるのである。