オスプレイも原発もいらない! ― 2012年07月01日 21時14分04秒
★安全性が確保できないものは誰だって望まない。
大飯原発は再稼働し始めた。しかし国民の多くはそれを望まないし許しはしない。そのことは沖縄や岩国の米軍基地へのオスプレイ配備だって同じことであり奇しくも今日夕方のテレビ二大ニュースはどちらも多くの県民、国民がそれに強く反対しているというものであった。そして今なお政府はそれを無理やり押し切ろうとしている。
今世界は変わる、そのことを実感している。3.11以後、原発にまつわる全てのイカサマ的隠蔽体質、欺瞞はあからさまになりもう国民は騙されはしないし政府の言いなりにはならない。そして米軍基地の問題も全く同じことで危険極まりない誰も望まないものを地方、中でも沖縄に無理やり押し付けてきたのである。むろん、そのぶん地元には巨額の金が落ちるようにして、基地や原発に依存しなければ生きていけない体質にさせてきたのだ。
だがそうした長年の歪んだ国策、経済優先の論理にはもう誰も与しない。命あっての物だねという言葉通り、どれほど金をもらっても危険極まりのないものを受け入れるバカはもういない。問題は今の為政者、政権・政治家と国民の意識が大きくかけ離れていることだ。旧来の自民党とは違う政策をマニフェストに掲げて期待担って政権交代したはずの民主党が、自民、公明と一緒になって公約はすべて投げ捨て旧来の政治を強引に続けている。原発再稼働という強行、消費税増税という公約違反、そして普天間基地移設どころか事故多発のオスプレイ受け入れである。いったい誰のための政治なのであろうか。
彼らは国家国民のため、日本の将来のため決断したと言うだろうが、TPPにしろそれは国民のためになるどころかまさに亡国への道であり、国民を危険にさらすことに他ならない。でも多くの人たちはもう目覚めた。この国を動かしてきた全てのシステムは、大企業と官僚、そして米国の手先となった政治家たちが彼ら金持ち特権階級の権益維持のため国民の命と富を犠牲にしてだまし続けてきた国家的詐欺イカサマだったのだと。
政治を今国民の手に取り戻すチャンスなのである。この国の人々はずっと政治を人任せにしてきた。この国の民主主義とは断念なことにアメリカから与えられたものであった。だから国民は政治に関心がなかったし深く政治を考える機会もなかった。いつだって人任せにしてきたのだ。そしていつしか貧富の差は増大し格差と貧困の日本になってしまっていた。
悲惨な3.11は天災であったが、原発事故は人災であり、多くの人々の目が開かれ意識も大きく変わった。もう政治家たちに唯々諾々と騙されはしない。自らの命と安全、平和のために誰もがアクションを起こしていく。すべてはここから今日から始まるのである。
大飯原発は再稼働し始めた。しかし国民の多くはそれを望まないし許しはしない。そのことは沖縄や岩国の米軍基地へのオスプレイ配備だって同じことであり奇しくも今日夕方のテレビ二大ニュースはどちらも多くの県民、国民がそれに強く反対しているというものであった。そして今なお政府はそれを無理やり押し切ろうとしている。
今世界は変わる、そのことを実感している。3.11以後、原発にまつわる全てのイカサマ的隠蔽体質、欺瞞はあからさまになりもう国民は騙されはしないし政府の言いなりにはならない。そして米軍基地の問題も全く同じことで危険極まりない誰も望まないものを地方、中でも沖縄に無理やり押し付けてきたのである。むろん、そのぶん地元には巨額の金が落ちるようにして、基地や原発に依存しなければ生きていけない体質にさせてきたのだ。
だがそうした長年の歪んだ国策、経済優先の論理にはもう誰も与しない。命あっての物だねという言葉通り、どれほど金をもらっても危険極まりのないものを受け入れるバカはもういない。問題は今の為政者、政権・政治家と国民の意識が大きくかけ離れていることだ。旧来の自民党とは違う政策をマニフェストに掲げて期待担って政権交代したはずの民主党が、自民、公明と一緒になって公約はすべて投げ捨て旧来の政治を強引に続けている。原発再稼働という強行、消費税増税という公約違反、そして普天間基地移設どころか事故多発のオスプレイ受け入れである。いったい誰のための政治なのであろうか。
彼らは国家国民のため、日本の将来のため決断したと言うだろうが、TPPにしろそれは国民のためになるどころかまさに亡国への道であり、国民を危険にさらすことに他ならない。でも多くの人たちはもう目覚めた。この国を動かしてきた全てのシステムは、大企業と官僚、そして米国の手先となった政治家たちが彼ら金持ち特権階級の権益維持のため国民の命と富を犠牲にしてだまし続けてきた国家的詐欺イカサマだったのだと。
政治を今国民の手に取り戻すチャンスなのである。この国の人々はずっと政治を人任せにしてきた。この国の民主主義とは断念なことにアメリカから与えられたものであった。だから国民は政治に関心がなかったし深く政治を考える機会もなかった。いつだって人任せにしてきたのだ。そしていつしか貧富の差は増大し格差と貧困の日本になってしまっていた。
悲惨な3.11は天災であったが、原発事故は人災であり、多くの人々の目が開かれ意識も大きく変わった。もう政治家たちに唯々諾々と騙されはしない。自らの命と安全、平和のために誰もがアクションを起こしていく。すべてはここから今日から始まるのである。
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