古本音楽家宣言・12012年01月02日 21時05分55秒

★過去を伝え今に活かし未来へと繋げていく

 昨日の元旦は暖かく風邪もなく穏やかで過ごしやすかったが、今日は北風吹き荒む正月二日目である。昼間も陽が翳ると北風が強く寒かった。

 明日までの三が日が正月休みということになるわけだが、気持ちとしてはもう今日で正月は終わった感がある。年賀状も今日でほぼ出し終えたこともある。例年に比べて今年は出足が違う。いつもならば来た年賀状を前に、今頃から年賀状を印刷して書き出す自分だったのだから。意気込みが異なる。これは良いことだろう? 

 今日も母を立川の病院へ昼前に急患扱いで、丸山ワクチンを打ちに行った。正月の間は近くのいつも通う診療所が休みなのでそこに行くしかない。問題の白血球の減少は暮れの連日二度二回にわたる注射で幸い改善してきたようだ。そんなこんなで大晦日も新年あけて正月二日も病院通いなどしていると正月気分なんかどこ吹く風である。まあそれでも近くの神社と拝島の大師様には初詣に行ったけれど。

 それでも正月なので簡単なお雑煮を作り、午後戻ってから餅焼いて入れて食べた。そしたら突然フラフラしてきて起きていられなくなりベッドに入ってギター爪弾いていたらいつしか夕方まで2時間近く眠ってしまった。
 初夢というわけではないけれど、その眠りに入る前、半覚醒のときに、もう今はいない、死んでしまった犬たちや亡くなった人たちのことが次々と思い出されてしんみりしてしまった。

 老いてそれなりに周囲も死を覚悟して迎えた別れならば、それなりに覚悟もできているし、納得もできよう。哀しいのは同じであるが心構えもできている。しかし、不慮の事故のようにまったく予期していないところの突然の死は、今も思い返すと悔いのような痛みが伴う。去年も年下の高校時代からの友人が病気で急死した。

 こちらがその死に何かできたとは思わなくとも、最後に会ったとき、もしそれが今生最後の別れであったならばもっともっとやりたいこと、やれたことはあったはずだし、大事にしたかった、やさしくすべきでかあったと後悔の念ばかり今もわいてくる。
 普段は薄情な自分は彼らのことを忘れてのほほんと生きているが、ある意味彼らの死を踏み台にして生きているようなところもあるわけで、本当に申し訳ないしそんな身勝手な自分が情けない。

 むろん、人に限らず出会い共に暮らした動物たちも必ず死ぬ。死はいつも他人事と言ったのは寺山だったか忘れたが、残念なことに生きている限り死は常に他者のものであり、当事者となりえない。
 死んだその先、あの世とか天国はあるかは別として、哀しいのはもうこの世では彼らと二度と会えないことだ。せいぜい夢の中でごくたまに会うこともあり、夢の中ではその死に気づかず、覚めてからああ、彼らはもうこの世のどこにもいないのだと気がつき枕を涙で濡らす。

 だが、過ぎたことはもう仕方ない。過去は戻せないし、もし天国があるならば必ずまた彼らと会える。ある意味、彼らが先に行って待っているのだから死ぬことはさほど怖くない。
 過去を、昔を過ぎた日々のことを振り返りあれこれ悔やんでも懐かしがっても仕方ない。今だって、そのときと同じように突然の死の報があればきっと悔やむ羽目になるに違いない。そうならないよう日々全力で誰とでも一日一日気持ち新たにしっかり生きて付き合っていくしかない。一期一会というほどの覚悟はなくともまた今度、いつかそのうちと曖昧に先延ばしにしてはならないはずだ。

 人はいつか必ず死ぬ。若いときはそれはまして他人事であった。しかし今は、そしてこれからは自らも当事者であり、周りはその予備軍で満ちている。ならば常にこれが最後かもと今生の別れだと覚悟して丁寧に大事に彼らと生き過ごさねばならない。

 そしてそこで自分が残された時間の中で何ができるか、何をすべきかと考えた。それが古本音楽家である。読み方は“ふるほんおんがくハウス”と読む。自分は音楽の才能もないしミュージシャンではないので音楽家ではありえない。しかし、古本と音楽の家は作れるのではないか。
 音楽はAKBとか今のそれではない。やはり昔のフォークソングや内外の70年代ロック、古いブルースやジャズである。自分が集め聴いてきたそうした音楽と大事に思う古い本を合体して場を作る。
 ブックカフェということでもあるが、それよりも音楽が占める位置が大きい。そうした「過去」を今に伝え、願わくば未来へと、これから生きる新しい人たちにも繋げて渡していきたい。
 幸いのこと自分には若き良き友人も沢山いる。もう、かつての戦争を知らない子供たち、つまり今やヘンクツな常識を知らない老人たちを相手に顔色を伺って彼らと何かをやっていくことより自らの手で拙くとも手元の本と音楽を題材に何らかの事ができるかもしれない。

 三丁目の夕日的に、過去を全面的に肯定し懐かしむのではなく、どんな時代であったのか知る者としてきちんと検証して伝えるべく残していくものを整理保存し記録して未来へ繋げていく。それが自分が考える古本音楽家である。
 ネットで古本稼業を初めて約10年たつ。そして高田渡の死によって音楽に回帰してやがて10年となる。ようやく自分にとって古本も音楽もまったく同じものだと胸を張って言えるようになった。これからはその二つのことを一つのことと一体化させてやっていく。

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