「社員」のその後の容体 ― 2012年07月05日 22時03分18秒
★怖れていた後遺症発症す。
夕食後、犬ではなく黒猫クロスケに紐つけて猫の散歩に出たら東の空にはメロンのような形の赤い月が出ていた。今晩は風もなく蒸し暑い。昨日から本格的に暑くなった。
これは書くべきかこの数日ずっと思案していた。プライベートな問題とかいう以前に、まだ状況が定まらずどうなってしまうのか先が見えない段階であれこれ迂闊なことは書けなかったし書くべきでないと自制する気持ちもあった。
先だってウチで起きた、増坊の友人であり唯一の「社員」であるTが松の木を剪定しようとして落下して強く頭を打った一件、二日間の入院で一応退院できたのだが、一週間後後遺症が出てきて実は今また実家近くの病院に入院中である。※先の「報告」も途中までで最終的なことが書けなかったのは、実は内心こうした事態を怖れ危惧して安易に結末を書くことに躊躇う気持ちがあったからだと気づく。※6/21、25日付けのブログ参照を。
今はじっさいに見舞いに行って当人に会ったわけではないので正確な状況はわからないのだが、間に立ち面会した人たちの話を総合すると実家に戻ったTはしだいに呂律が回らなくなり、頭痛もすると言いだし向こうの総合病院で診察を受けた。そしてCTとか撮った結果、脳に新たな異変はなかったようだが、言語障害、言葉が出なくなる失語症のような症状となったので先月末28日から入院していたのだ。
増坊も彼が立川の病院を退院後、実家に戻ってからその後どんな様子なのかと気になって何ども携帯に電話したりメールを送って連絡をとろうとしていた。が、いつもならその日はなくても翌日には必ず返信か電話してくる彼から何日もまったく返信がない。携帯はいつも留守電状態のままである。何か起きたか、もしかしたら体調が悪化したのではないかと不安な気持ちで過ごしていたらようやく今週月曜、2日の夕方に当人から短いメールが届き、そこには、28日から入院、言葉でない、大変とか意味のわかりかねる短いセンテンスが並んでいた。
慌てて、彼の弟のところに電話したり向こうにいる共通の友人にメールしたりあちこち連絡とってようやく大まかな状況、先に記したようなことが判明した。まあ今現在、手足にマヒとかふらつき等の症状は出てないようで、体は問題なく動けるし飯も食べられている。脳の言語をつかさどる部分だけに障害が出ているらしい。詳しいことはまだわからないが、今後は転院して?言語療法士のところで入院しながらリハビリとなるようだ。
ただ、その治療がどのぐらいの期間かかるのか、完治するのか治療費も含めて先のことは全くわからない。彼の賢弟からまた状況は連絡あると思うが、命に別状はなかったとはいえ、やはり脳のケガは安易に考えてはならなかった。怖れていた後遺症が一週間経ってから出始めたのである。
友人として、「社長」として、また今回の当事者として彼のところへ行きまずは見舞いし状態を確認せねばと思うが、良くなってきたと報告したばかりの腰がまた彼の病状再発を確認して以降リンクするように悪くなった。むろん精神的なことと肉体は深く関係していることはわかるが、思えば今回の腰痛もこの「事故」が起きてからであり、何かそこに因果関係が確かにあるような気がしている。考えてみれば彼とは30年以上、両親を別にすればもっとも親しく家族同様に親交が続いていたのだ。男同士であるから恋人ではないし夫婦ではないが、関係の深さではそれに準じていた。意識したことはなかったが、そうしたとても「大事な人」が大ケガをしたのだからこちらも体調を崩しても当然であった。
今は腰痛のこともあるけれど、この7日まではあれこれ慌ただしいので、来週半ばころ彼の入院している笠間市へ行こうと考えている。あれこれ悪い方に考えてただひたすら心配してもしょうがない。ともかく快癒を祈るだけである。またこの件はその時々報告していく。
それにしても頭のケガは実に怖い。
夕食後、犬ではなく黒猫クロスケに紐つけて猫の散歩に出たら東の空にはメロンのような形の赤い月が出ていた。今晩は風もなく蒸し暑い。昨日から本格的に暑くなった。
これは書くべきかこの数日ずっと思案していた。プライベートな問題とかいう以前に、まだ状況が定まらずどうなってしまうのか先が見えない段階であれこれ迂闊なことは書けなかったし書くべきでないと自制する気持ちもあった。
先だってウチで起きた、増坊の友人であり唯一の「社員」であるTが松の木を剪定しようとして落下して強く頭を打った一件、二日間の入院で一応退院できたのだが、一週間後後遺症が出てきて実は今また実家近くの病院に入院中である。※先の「報告」も途中までで最終的なことが書けなかったのは、実は内心こうした事態を怖れ危惧して安易に結末を書くことに躊躇う気持ちがあったからだと気づく。※6/21、25日付けのブログ参照を。
今はじっさいに見舞いに行って当人に会ったわけではないので正確な状況はわからないのだが、間に立ち面会した人たちの話を総合すると実家に戻ったTはしだいに呂律が回らなくなり、頭痛もすると言いだし向こうの総合病院で診察を受けた。そしてCTとか撮った結果、脳に新たな異変はなかったようだが、言語障害、言葉が出なくなる失語症のような症状となったので先月末28日から入院していたのだ。
増坊も彼が立川の病院を退院後、実家に戻ってからその後どんな様子なのかと気になって何ども携帯に電話したりメールを送って連絡をとろうとしていた。が、いつもならその日はなくても翌日には必ず返信か電話してくる彼から何日もまったく返信がない。携帯はいつも留守電状態のままである。何か起きたか、もしかしたら体調が悪化したのではないかと不安な気持ちで過ごしていたらようやく今週月曜、2日の夕方に当人から短いメールが届き、そこには、28日から入院、言葉でない、大変とか意味のわかりかねる短いセンテンスが並んでいた。
慌てて、彼の弟のところに電話したり向こうにいる共通の友人にメールしたりあちこち連絡とってようやく大まかな状況、先に記したようなことが判明した。まあ今現在、手足にマヒとかふらつき等の症状は出てないようで、体は問題なく動けるし飯も食べられている。脳の言語をつかさどる部分だけに障害が出ているらしい。詳しいことはまだわからないが、今後は転院して?言語療法士のところで入院しながらリハビリとなるようだ。
ただ、その治療がどのぐらいの期間かかるのか、完治するのか治療費も含めて先のことは全くわからない。彼の賢弟からまた状況は連絡あると思うが、命に別状はなかったとはいえ、やはり脳のケガは安易に考えてはならなかった。怖れていた後遺症が一週間経ってから出始めたのである。
友人として、「社長」として、また今回の当事者として彼のところへ行きまずは見舞いし状態を確認せねばと思うが、良くなってきたと報告したばかりの腰がまた彼の病状再発を確認して以降リンクするように悪くなった。むろん精神的なことと肉体は深く関係していることはわかるが、思えば今回の腰痛もこの「事故」が起きてからであり、何かそこに因果関係が確かにあるような気がしている。考えてみれば彼とは30年以上、両親を別にすればもっとも親しく家族同様に親交が続いていたのだ。男同士であるから恋人ではないし夫婦ではないが、関係の深さではそれに準じていた。意識したことはなかったが、そうしたとても「大事な人」が大ケガをしたのだからこちらも体調を崩しても当然であった。
今は腰痛のこともあるけれど、この7日まではあれこれ慌ただしいので、来週半ばころ彼の入院している笠間市へ行こうと考えている。あれこれ悪い方に考えてただひたすら心配してもしょうがない。ともかく快癒を祈るだけである。またこの件はその時々報告していく。
それにしても頭のケガは実に怖い。
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