団塊の世代と脆弱な個の世代との狭間で ― 2015年11月25日 21時46分13秒
★嗚呼、素晴らしきかな団塊の世代 アクセスランキング: 111位
人は生まれる時代も環境も選ぶことなどできやしないが、やはり年代、時代ごとにそれぞれの「世代」というものは確実に存在している。このところつくづくそう思う。
我マス坊の世代は、昭和30年代前半の生まれで、西暦でいえば1950年代後半ということなる。戦後の焼け跡や困窮の時代は脱したが、高度経済成長、黄金の60年代~70年代にはまだ至らず、様々な新たな家電が一般に次々と普及してきて豊かさをじょじょに実感と謳歌してきた時代と共に生きて来た。
そしていつも感じるのは、常にあるブームとなった世代とは遅れたり早すぎたりして我らはどこにも属していないという意識だ。そう、団塊でも新人類でもなく、我々には何の呼び名もない。失われた世代ならまだ名前があるが、失ったものも、世間が目をむく特性もない。どうにも中途半端な、個人的には「遅れて来た世代」だと思っている。
このところ、ライブの折などで今60代半ば辺りからアラウンド70歳ぐらいの、いわゆる団塊の世代の人たちと同席する機会があり、彼らの生態をいろいろ深く知る機会があった。生年を聞くと、だいたい1947年~とかだから、まさに戦後生まれの世代であり、米国でいうところのベビーブーマーズ、日本で揶揄された「団塊」の人たちということになる。※三上寛が以前何かの折に、「人を団子のように言いやって」と怒っていたことを思い出す。
彼らはちょうど我とは10歳ぐらい上の人たちで、歳の離れた兄貴と呼べなくもないが、我々世代と感覚や考え方、気質ははっきり言って全く違う。
よく、年下の人から、マスダさんたちは「団塊の世代」でしょ、とか一緒くたに括られることがある。が、それは明らかに間違いであり、否定する語気につい怒りのようなものさえ発してしまう。
確かに、若い時からその世代の人たちとはずいぶん親しく付き合っては来た。が、先日も西荻で同世代の友人と話したが、我々としては、個々の人は別としても世代としては彼らに対して、うんざりするような否定したいような気持をずっと抱いてきた。憎い気持ちはないが、さんざんその世代には怒られたりいじめられたような記憶があるからだ。
というのは、彼らはともかくやたら数が多い。そして特性としてともかく個性が強く、すぐ怒ったり怒鳴ったりキレることが多く、年下の者としておっかなくてどうにも扱いに困る「大人たち」であった。
その頃から時も過ぎ今では皆が同様に歳をとってしまい、60歳も70歳も見た目も含めてさほど違いはお互い感じないようになってきたが、十代、20代の頃の10歳近く年上とは、完全な大人であって、とても気軽に口も利けないしまた、やたらすぐ怒る人たちなので叱られるばかりで本当に付き合いに困った。
先日、このところ人気の憲法学者、小林節の講演会に行った。彼もまた完全な団塊の世代であり、自ら「俺には何も怖いものがない」と語っていた。じっさい講演会の終わり頃、質問の時間に観客の一人が、彼の過去の発言の言葉尻を捉え「変節」したのではないかと指摘したら、いきなり「不愉快だ!」とキレて、顔を真っ赤にして「ふざけんじゃねえ、何様のつもりだ。ここに上がって来い!」と激高して、主催者も含めてその場にいた人たちが困惑し慌てて収拾に追われる場面があった。
一観客として見ていて、怒るのは仕方ないとしても講演会の場で声荒立ててキレるとはずいぶん大人気ないとも思ったが、それが団塊の世代なのである。まさに彼らは何も恐れないし人目などいちいち気にしない。
じっさい、国会前の集会でも警備に関し警官たちにくってかかって何一つ恐れず怒鳴りつけているのは白髪頭のそうした世代の男女たちだ。若い世代こそ言葉も丁寧に、若手警官も集会参加者もお互いにニコニコやんわりと「どーもどーも」と譲り合ってやりとりしている。
笑ったのは、そうしたケンカ腰の対応の時に、怒ってる側も警官も団塊の世代同士ということもあって、「弁護士呼ぶぞ!」と怒鳴る側に対して警部捕?のごま塩頭もキレて「おう、呼ぶなら呼べよ!」と言い返し、周りを双方の若手たちが慌てて取り囲んで二人を諫めるという一幕もあって、これこそ団塊世代だなあと興味深く眺めたことを思い出す。
そもそも何で彼らがそんなに怒りやすいのか。推測するに、要するにあまりに子供の頃から家庭でも学校でも社会でも絶対数が多いが為、強く自己主張をしないと権利が得られない、守られないからではないか。
ウチの親たちの世代や戦中派でなくとも、昔は子だくさん、兄弟が多いのはデフォルトだったから、戦後生まれと言っても、彼らの上にはまたさらに戦中生まれの兄弟もいたりして、兄弟は三人以上という人も多い。敬愛する団塊のフォークシンガーにも五人兄弟という人もままいる。
我が世代では、たまに三人兄弟もいなくはないが、決して多くはなく、たいがい二人が通常、ときに一人っ子もよくいた。だから当然大事に大切に周囲から甘やかされて育ったが、団塊の人たちは違う。全体数が多いから家でも学校でも自ら強く自己主張しないと飯だって存分に食えない。おとなしいと誰もかまってはくれないし面倒もみてくれない。
だからガキ大将もいたし、集団で遊びケンカも日常的でその中で日々もまれて成長してきた。だから彼らは根本が強い。気弱だと生きていけなかったから常に強く自己主張する。そしてそれを周囲にも人生にも適用した。
だから我が社会に出たとき、会社や社会の上のほうにいた団塊の人たちには圧倒され本当に鬱陶しかった。やさしい人もいなくはなかったが、大学のOBでも会社でもその世代の人たちは、やたらすぐ怒り、下の者に厳しくあたり毒舌かつ辛辣で、我々世代は居場所がない思いをしてきた。
まあ、そうした熱い激しい気質が、大学紛争やベトナム反戦運動、そしてフォークソングムーブメントと様々な運動やブームを生み、市民運動も含めて今日の脱原発、エコロジー回帰、自然食品などの祖を築いたわけで、まさに団塊の世代様様なのであるから否定もできない。彼らが敷いたレールの上を、通り過ぎた轍の上をなぞって我々は生きて来たといって過言ではない。
そして彼らが集まったときを見ると、そこに実に親密な強い絆があって、和気あいあいと昔話に花が咲き、それは後の世代は持ち合わせていないが故ただ羨ましく思ってしまう。熱い人たちはまた人情も熱いのであろう。
で、彼らを「上」として、今度は目を「下」の世代に向けると、これもまた別の意味でやたら難しく扱いにくいと嘆息する。理由は一つ。なんだか知らないけど、今の若い人たちはやたら傷つきやすいからだ。迂闊なことは言うと大変なことになるし、うっかりぞんざいに扱うと面倒な事態となってしまう。そんなに繊細で生きていけるのかと心配を通り越し呆れさえする。が、それこそが今の若者気質なのであろう。
※長くなるので、この続きは別のときにまた書くことにします。
人は生まれる時代も環境も選ぶことなどできやしないが、やはり年代、時代ごとにそれぞれの「世代」というものは確実に存在している。このところつくづくそう思う。
我マス坊の世代は、昭和30年代前半の生まれで、西暦でいえば1950年代後半ということなる。戦後の焼け跡や困窮の時代は脱したが、高度経済成長、黄金の60年代~70年代にはまだ至らず、様々な新たな家電が一般に次々と普及してきて豊かさをじょじょに実感と謳歌してきた時代と共に生きて来た。
そしていつも感じるのは、常にあるブームとなった世代とは遅れたり早すぎたりして我らはどこにも属していないという意識だ。そう、団塊でも新人類でもなく、我々には何の呼び名もない。失われた世代ならまだ名前があるが、失ったものも、世間が目をむく特性もない。どうにも中途半端な、個人的には「遅れて来た世代」だと思っている。
このところ、ライブの折などで今60代半ば辺りからアラウンド70歳ぐらいの、いわゆる団塊の世代の人たちと同席する機会があり、彼らの生態をいろいろ深く知る機会があった。生年を聞くと、だいたい1947年~とかだから、まさに戦後生まれの世代であり、米国でいうところのベビーブーマーズ、日本で揶揄された「団塊」の人たちということになる。※三上寛が以前何かの折に、「人を団子のように言いやって」と怒っていたことを思い出す。
彼らはちょうど我とは10歳ぐらい上の人たちで、歳の離れた兄貴と呼べなくもないが、我々世代と感覚や考え方、気質ははっきり言って全く違う。
よく、年下の人から、マスダさんたちは「団塊の世代」でしょ、とか一緒くたに括られることがある。が、それは明らかに間違いであり、否定する語気につい怒りのようなものさえ発してしまう。
確かに、若い時からその世代の人たちとはずいぶん親しく付き合っては来た。が、先日も西荻で同世代の友人と話したが、我々としては、個々の人は別としても世代としては彼らに対して、うんざりするような否定したいような気持をずっと抱いてきた。憎い気持ちはないが、さんざんその世代には怒られたりいじめられたような記憶があるからだ。
というのは、彼らはともかくやたら数が多い。そして特性としてともかく個性が強く、すぐ怒ったり怒鳴ったりキレることが多く、年下の者としておっかなくてどうにも扱いに困る「大人たち」であった。
その頃から時も過ぎ今では皆が同様に歳をとってしまい、60歳も70歳も見た目も含めてさほど違いはお互い感じないようになってきたが、十代、20代の頃の10歳近く年上とは、完全な大人であって、とても気軽に口も利けないしまた、やたらすぐ怒る人たちなので叱られるばかりで本当に付き合いに困った。
先日、このところ人気の憲法学者、小林節の講演会に行った。彼もまた完全な団塊の世代であり、自ら「俺には何も怖いものがない」と語っていた。じっさい講演会の終わり頃、質問の時間に観客の一人が、彼の過去の発言の言葉尻を捉え「変節」したのではないかと指摘したら、いきなり「不愉快だ!」とキレて、顔を真っ赤にして「ふざけんじゃねえ、何様のつもりだ。ここに上がって来い!」と激高して、主催者も含めてその場にいた人たちが困惑し慌てて収拾に追われる場面があった。
一観客として見ていて、怒るのは仕方ないとしても講演会の場で声荒立ててキレるとはずいぶん大人気ないとも思ったが、それが団塊の世代なのである。まさに彼らは何も恐れないし人目などいちいち気にしない。
じっさい、国会前の集会でも警備に関し警官たちにくってかかって何一つ恐れず怒鳴りつけているのは白髪頭のそうした世代の男女たちだ。若い世代こそ言葉も丁寧に、若手警官も集会参加者もお互いにニコニコやんわりと「どーもどーも」と譲り合ってやりとりしている。
笑ったのは、そうしたケンカ腰の対応の時に、怒ってる側も警官も団塊の世代同士ということもあって、「弁護士呼ぶぞ!」と怒鳴る側に対して警部捕?のごま塩頭もキレて「おう、呼ぶなら呼べよ!」と言い返し、周りを双方の若手たちが慌てて取り囲んで二人を諫めるという一幕もあって、これこそ団塊世代だなあと興味深く眺めたことを思い出す。
そもそも何で彼らがそんなに怒りやすいのか。推測するに、要するにあまりに子供の頃から家庭でも学校でも社会でも絶対数が多いが為、強く自己主張をしないと権利が得られない、守られないからではないか。
ウチの親たちの世代や戦中派でなくとも、昔は子だくさん、兄弟が多いのはデフォルトだったから、戦後生まれと言っても、彼らの上にはまたさらに戦中生まれの兄弟もいたりして、兄弟は三人以上という人も多い。敬愛する団塊のフォークシンガーにも五人兄弟という人もままいる。
我が世代では、たまに三人兄弟もいなくはないが、決して多くはなく、たいがい二人が通常、ときに一人っ子もよくいた。だから当然大事に大切に周囲から甘やかされて育ったが、団塊の人たちは違う。全体数が多いから家でも学校でも自ら強く自己主張しないと飯だって存分に食えない。おとなしいと誰もかまってはくれないし面倒もみてくれない。
だからガキ大将もいたし、集団で遊びケンカも日常的でその中で日々もまれて成長してきた。だから彼らは根本が強い。気弱だと生きていけなかったから常に強く自己主張する。そしてそれを周囲にも人生にも適用した。
だから我が社会に出たとき、会社や社会の上のほうにいた団塊の人たちには圧倒され本当に鬱陶しかった。やさしい人もいなくはなかったが、大学のOBでも会社でもその世代の人たちは、やたらすぐ怒り、下の者に厳しくあたり毒舌かつ辛辣で、我々世代は居場所がない思いをしてきた。
まあ、そうした熱い激しい気質が、大学紛争やベトナム反戦運動、そしてフォークソングムーブメントと様々な運動やブームを生み、市民運動も含めて今日の脱原発、エコロジー回帰、自然食品などの祖を築いたわけで、まさに団塊の世代様様なのであるから否定もできない。彼らが敷いたレールの上を、通り過ぎた轍の上をなぞって我々は生きて来たといって過言ではない。
そして彼らが集まったときを見ると、そこに実に親密な強い絆があって、和気あいあいと昔話に花が咲き、それは後の世代は持ち合わせていないが故ただ羨ましく思ってしまう。熱い人たちはまた人情も熱いのであろう。
で、彼らを「上」として、今度は目を「下」の世代に向けると、これもまた別の意味でやたら難しく扱いにくいと嘆息する。理由は一つ。なんだか知らないけど、今の若い人たちはやたら傷つきやすいからだ。迂闊なことは言うと大変なことになるし、うっかりぞんざいに扱うと面倒な事態となってしまう。そんなに繊細で生きていけるのかと心配を通り越し呆れさえする。が、それこそが今の若者気質なのであろう。
※長くなるので、この続きは別のときにまた書くことにします。
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