ほあんいんぜんいんあほ※回文である。2012年03月16日 18時37分58秒

★一体なんで原発再稼動、そして消費税アップに命かけるか。

 もう何をかやである。
 このところやたら大きい地震が大震災後も多発している。昨晩も深夜にたたき起こされた。これが東北での余震ならばまだしも不安なのは全く離れた土地で起きることだ。むろんあの巨大地震によってこの国自体が乗っかっているプレートがあちこち歪んで影響しあって地震がどこでも起こるのだと思えるが、ならばこそ全国各地にある老朽化した原発は全て完全に停止し廃炉へと移行していくに越したことがない。
 この地震大国、いつ何時どのような巨大地震が連動して起きることもおかしくないと既に予想されているのだからもしものときに備えて火の元は消しておくほうが良いと誰だって思いつくだろう。何しろこの原子力の火はおいそれとすぐに消すことはできないのである。廃炉だって何十年もかかる。もういいかげんこんなバカな金ばかりくい危険極まりないシステムから脱却することこそ21世紀の人類の英知だと考える。

 原発事故による放射能の危険から逃れるため、知る限り既に何人か、まだ幼い子供を子育て中の知人は関西、そして九州方面へと転居してしまった。それを愚かだと嗤う人もいるかもしれない。しかし、責任ある親の立場としてその気持ちはわからなくもないし、多くの子育て世代ではそれが可能ならばできるだけ福島から離れたところで暮らしたいと願っているだろう。
 しかし、この狭い国ではどこへ行っても原発はあるし、今は稼動していなくてバカのだめ首相は、今後次々と稼動させていく。さすれば常に原発事故の危険に脅えなくてはならないし、じっさい一度事故がまたもや起きれば、その規模は国土全体に、東アジア全域にまで及ぶであろう。この狭い日本にはどこへ逃げようと安全なところなんて存在しない。原発事故とは地球規模の災難なのである。

 文豪谷崎潤一郎は、チャキチャキの江戸っ子であったのに、関東大震災後、大地震に懲りて地震が少ないとされる関西へ移り住んだ。その地で様々な関西を舞台にした名作を書き上げたのだが、今や大地震は先の神戸の場合を見るまでもなくどこでだって必ずいつかは起きる。そしてその都度、多くの無辜の民の命が失われ、平和な暮らしが消えていく。

 つまるところ、人の生きているということは、こうした外のことと内のこととの軋轢なのである。人は皆、自分のささやかな人生を心静かに、できれば思い描くとおりに生きたいと願っている。しかし、大地震や原発事故など予期せぬ事態によってそうした当たり前の幸福はあっと言う間に崩れて消えてしまう。それは仕方ないという考え方もある。確かに大地震や天災を前にして人は全く無力であった。だが、人災としての原発事故はまたそれとは違う。繰り返すが、そもそも危険極まりない制御できなくなるシステムを人類は持つべきではなかったのだ。ならばこそ、今出来ることは誰だってわかる。原発NO!である。
 どれほど巨大地震が来ようと原子力発電所さえなければ、人は自らできることの範囲でのみ心配も対策も予測も立てられるではないか。